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「明治時代の橋梁・JR中央線多摩川橋梁」 日野市

  • 建物雑想記
  • 2014.02.01

JR中央線 多摩川橋梁前号から引き続き煉瓦の建造物にスポットを当ててみたいと思う。今回紹介する歴史的建造物は、JR中央線の立川駅と日野駅の間にある多摩川橋梁だ(下り線の車窓からも見る事が可能です)。この橋の「梁」と「脚」について詳しく見てみたい。


ここは120年以上前の煉瓦造の橋脚による鋼製の橋梁が、現在でも現役で使われている貴重な場所だ。東京の大動脈である中央線で、甲武鉄道開通当時の橋梁が残っているのは嬉しい限りだ。さすが煉瓦と鉄の建造物と言いたい。何を大げさに、と疑問に思うかもしれないが、建築的なウンチクは後回しにして、まずは煉瓦の橋脚のある風景から見てもらいたい。煉瓦の橋脚には日野で焼かれた「日野煉瓦」が使われていることから、多摩川の日野側から見る機会が多いようだが、橋脚のダイナミックな構造体を間近で楽しめるのは川を渡った立川側なので、是非一度立日橋を超えて立川側にも訪れていただきたい。
※日野煉瓦は明治21年から明治23年に日野煉瓦工場で製造された手抜成形煉瓦で、主に甲武鉄道の多摩川と浅川の橋脚に使われた。開業からわずか数年で廃業したことから、幻の煉瓦と言われている。


写真の左側が上り線で、明治22年(1889年)に架けられた橋梁で、右側の下り線は昭和初期の複線化時に造られた鉄筋コンクリート製の橋脚だ。以前煉瓦の構造物を見ると「ワクワクする」とお伝えしたが、両者の橋脚を見比べることで、そのイメージが伝わってくるのではないだろうか。鉄筋コンクリートの橋脚は構造的・経済的合理性の中でつくられ、それ以上の美学は感じられないが、煉瓦の橋脚には、煉瓦と石で積み上げて建造物を構成している点で、人間の手仕事と素材の持つ風合いが集積された一つの風景を作り出しているのだ。さらに力学的な合理性を保っていること(長い間現役であることが証明してくれている)が加わり、単に古いだけではないところがワクワクする所以ではないだろうか。

日野レンガの橋脚
昔の経験値に基づく構法だけでは弱い、構造力学的に理にかなっているから強い。建築の世界ではそのような発想で物事が構築されてきたが、机上の理論と実際の自然界の状況は違うということもある。鉄筋コンクリート造は、理論上はメンテナンスフリーで半永久構造物とさてれいた(四半世紀も前のことだが、大学でもそのように習った記憶がある)。鉄筋コンクリートは、曲げに強いが錆に弱い[鉄]と、圧縮に強く引張りに弱い[コンクリート]を組み合わせた、それぞれの構造的なな短所を補った理想の素材である。コンクリートの中に埋め込まれた鉄筋が、そのままの状態を保つことができれば半永久構造物なのだが、実際は経年変化によるひび割れ等からコンクリート内部に水分が侵入し、鉄筋が錆びて膨張するリスクがあった。鉄筋の膨張はコンクリートの被覆を破壊し、鉄筋コンクリート造の寿命を短くしてしまうのである。

2020年のオリンピックに向けて高度経済成長期に造られた鉄筋コンクリート造の競技施設や首都高速道路等の建て替えの話が盛んになっている。建て替えの理由の多くは老朽化、つまり経年変化による鉄筋状態の悪化である。現在では一般な鉄筋コンクリートの耐用年数は環境のよい状態で100年程度とされているが、過酷な環境下では築50年も満たずに建て替えを余儀なくされているのが現状である。

明治時代の橋梁が120年もの歳月に耐えられているのは何故だろうか……。橋脚に使われた煉瓦や石は、鉄筋コンクリートのように素材自体にリスクを内在している物ではないので、材料が安定していること、そして煉瓦や石を積み上げて造る組積造の歴史は長く、天変地異が発生しない限り、何百年も壊れない技術の蓄積があったからである。その技術の延長上で建てたのがこの橋脚なのだ。多摩川橋梁の構成をみると、コンクリートと同じく引張りに弱く、圧縮力に強い組積造を橋脚に採用し、橋脚と橋脚を結ぶ橋(梁)に、引張りに強い鋼材を架けることで力学的に解決している。適材適所の選択が、120年という時間を超えた建造物の使用を可能にしたと言えよう。

この鋼材は産業革命による近代技術の産物であることは言うまでもないだろう。従来の組積造の橋を架けることも可能であったが、その場合はアーチの形となり、某大な量の煉瓦とそれを積み上げる工期が必要となり現実的でなかった。鋼材を梁に用いることで、アーチよりも長いスパンを架けることが可能となり、橋脚の数と工期を減らすことができたのだ。ただ、鉄骨も万能という訳ではない。火と錆に弱い。橋なので火災の心配は少ないが、錆対策は万全に行う必要がある。通常鋼材は10年から15年間隔でペンキの塗り替えを行う必要があり、多摩川の橋梁を見ると、2000年2月に塗り直したとあるので、定期的なメンテナンスの上に、健全な鋼材の梁が維持できているのだ。余談だが、東京スカイツリーも鉄骨造なので塗装の塗り替えが必要だが、日本の最高レベルの耐久性塗料を用いても25年おきに塗り直しが必要とのことだ。再塗装は鋼材の宿命と言えよう。

上り線の鋼材の橋梁を見上げると、古レールを再利用して手摺を造っているのがわかる。中には刻印の付いてるレールもあり、[UNION D 188 *]と確認できる。ペンキで何層も塗られているので[*]の部分は読み取ることができないが、1880年代にドイツで製造されたレールが輸入さていたと推測できる。保守点検用の手摺は甲武鉄道開通当時の写真では確認できないので、当所は無かったようだが、かなり早い時期に設置されたと思われる。古レールの刻印は日野と立川のちょうど間あたりの西側の手摺柱の南側面で見られるので、時間のある方は確認していだたきたい。足元が悪いので、上を見ながらの移動にはくれぐれもご注意を。

古いレール


【参考文献】
■コンクリート崩壊 溝渕利明 PHP新書
■多摩のあゆみ 102号 煉瓦に見た多摩の近代化 清野利明