国立天文台三鷹キャンパスが近代建築の宝庫であることは知っていたが、なかなか訪れる機会がなかった。読者の皆さんも何故取材しないの?と心配だったと思うが、この度ようやく実現することができた。案の定、見所が多く、午前中の取材の予定が午後の三時までかかってしまった。三鷹キャンパスには国の登録有形文化財が三件あるが、2014年年度中に新たに7件の登録が増える予定だ。ページが許せばもっと紹介したいところであるが、ここでは、今年登録有形文化財になる「子午儀資料館(レプソルド子午儀室)」について、その魅力をお伝えしたい。
三鷹キャンパスには子午儀や子午環という天体が子午線を通過する時刻や高度を測定する望遠鏡がいくつもあった。子午線は十二支の子の方角である「北」から、午の方角「南」に伸びる線、つまり地球の赤道に直角に交差するように両極を結ぶ線のことで、子午儀・環は東西に水平に置いた軸に直角に取付け、子午面内を動くようにした天文の基幹望遠鏡のことだ。簡単に言うと南北にしか動かない望遠鏡のことである。他の望遠鏡よりも正確に真北、真南を指すことが要求され、様々な工夫が施されている。
ここで見ることのできる子午儀・環室は三棟あり、共に観測の役目を終えて資料館として見学できる。レプソルド子午儀室(1925年建設、子午儀は1880年製作)、ゴーチェ子午環室(1924年建設、子午環は1903年製作)、自動光電子午環観測棟(1982年建設)が東西軸に並んで配置されている。子午儀・環は時代を追うごとにより精度の高い観測ができる機器に進化したが、自動光電子午環観測棟の建設された数年後の1989年にヨーロッパの宇宙機関(ESA)が天体の位置観測用の人工衛星を打ち上げに成功し、地上での観測精度をはるかに超える精度の高い位置観測が可能となった。精度の低い地上からの観測意義が低下したことから、建設から15年で自動光電子午環は観測を終了し、今日に至っている。役目を終えた観測室と計測機器は解体撤去されることが世の常で、1921年に日本標準時を観測するために建設された連合子午儀室は、他の研究施設に建て替えられている。そのような中でレプソルド、ゴーチェ、自動光電子午環の観測室は幸いにも解体されることなく、子午儀・環(望遠鏡)と建物のセットで観測時の状況を感じ取ることができる貴重な存在である。
天文台というと可動式の半球のドーム屋根があり、屋根の一部が移動して開口し、中心に据えられた望遠鏡が天球を満遍なく観測する、そんなイメージがあった。三鷹キャンパス内の大赤道儀室(天文台歴史館)や第一赤道儀室は正にイメージ通りの半球ドームがあり、天文台らしい景色をつくっている。
子午儀・環は望遠鏡が南北軸しか動かないので、子午線に沿って屋根が開閉できれば室内からの観測が可能となり、他の観測施設とは違う外観となっている。写真はレプソルド子午儀室だが、この洋風建築の中に望遠鏡があったとは気が付かないだろう。現役時代は鉄骨フレームの屋根が棟から東西に振り分けられるように動いていたというから驚きである(現在は修復で屋根を葺き替えているので、一体の屋根となっているようだが、屋根の形は当時から大差ないと思われる)。よく見ると外壁の上にレールがあり、屋根が滑るように動いていたことが解る。
屋根を開口することは、雨漏れのリスクと隣り合わせなので、できるだけ雨仕舞を単純化し、小さくすることがリスクの軽減になる。レプソルド子午儀室では、屋根自体が頂部から東西に動くことで、取り合いは屋根の拝み部分だけになる。この大胆な機構は、雨漏りのリスクを少なくする効果があったと言えよう。
屋根全体を動かすことで、不具合が生じる部分もある。屋根の軒先に取り付く竪樋を普通に固定しては屋根の移動に追随できないが、軒樋と竪樋の接合部に自由に曲がる蛇腹の樋を入れることで、この不具合を解決しているのだ。(イメージとしては、キッチン流しのシャワーホースのような構造である)。建設時の図面がアーカイブ室新聞(国立天文台天文情報センターWEB)に載っていたが、蛇腹のような竪樋はこの図面にも描かれており、建築当初から設計者が工夫を凝らした場所のようだ。改修で入口の樋は新しくなったが、裏口は昔の状態で残っているので見ていただきたい。
レプソルド子午儀室の意匠を見みると、力強い柱型と縦長窓が特徴的な外観となっている。天文台三鷹の見学ガイドには「セセッション」というキイワードが書かれているが、「セセッション」とは1897年にウィーンで画家や工芸家、建築家により旗揚げされた前衛芸術運動のことで、初代代表はグスタフ・クリムトであった。過去の建築様式からの離脱と20世紀的な近代建築の創出を目指し、デザイン的な傾向としては直線や円等の幾何学的形態の実現を示していた。日本では大正時代に流行したスタイルと言われている。この建物の柱型の頭部にはセセッションの直線模様を見ることができるが、近代建築としての魅力は表層的な装飾だけではない。建設時の図面から、レプソルド子午儀室の主要な構造が鉄筋コンクリートであることが解る。外観に見える柱型はちょうど鉄骨屋根の戸車の位置にあり、屋根荷重を支える役割を担っているのだ。つまり外観の柱型はハリボテではなく、切妻屋根の開閉に必要な構造柱なのである。さらに建物の内壁は観測作業がしやすいように柱型が出っ張るのを避け、壁を平滑に仕上げている。また、望遠鏡を据える架台も鉄筋コンクリートでしっかりと造られているが、建物の構造とは縁が切れ、それぞれ独立しているのだ。同じように板敷きの床も架台と接するだけで、荷重は架かっていない。精度の要求される観測機器なので、建物や人の振動が望遠鏡に伝わらない設計となっているのだ。このように構造と機能そして意匠を一体でデザインすることこそ、20世紀的な近代建築として「セセッション」が目指していたものではないだろうか。
レプソルド子午儀室は創意工夫の詰まった近代建築だったが、内部が資料館となっていることもあり、展示物が所狭しと並び、返ってわかりづらかった。大正、昭和初期はクラフトマンシップが全盛の時期で、望遠鏡を据える架台でさえ、現在では観賞に値する一品となっている。子午儀だけでなく観測室も残っていることで体感できる、天体観測の空間の魅力を多くの人に見てもらい。
【参考文献】
■アーカイブ室新聞 中桐正夫 国立天文台天文情報センターWEB
■暦の科学 片山真人 ベレ出版