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「記録を採ること」洋館付属型住宅 武蔵野市

  • 建物雑想記
  • 2008.05.01
 建物雑想記 吉祥寺の洋館
今回紹介する建物は惜しくも2007年の春に解体されてしまった昭和初期の近代和風住宅であるK邸は昭和8年に建築された洋館付属型住宅で、通りから見ると付属の洋館と玄関ポーチが印象的で物語に出てきそうなチャーミングな住宅であった。

取材で訪れたものの、解体されてしまう建物を前に、ただ取材をするだけでは建物に対して申し訳ない気がした。自分の出来る事を何かしたい。伊藤さんには、カメラとフィルム。僕にはペンとスケッチブックがある。建物の記録を採ろう。時間は半日しかないが、間取りを図面として残したいと思った。

日本の木造家屋は尺貫法(10寸=1尺=303mm)で建てられていることが多く、また構造となる柱が露出しているので、基準となる柱間(大抵は3尺=909mm)さえ押えれば、間取りを簡単に捉える事ができる。K邸もその例外ではなく、ほとんどの柱が3尺の升目上に乗っていた。

間取りを実測しながら図面を描き、さらに部屋の床、壁、天井の仕上や天井の高さを盛り込んで行く。このような図面の書き方は実際の民家調査の時と同じである。ここまで情報を盛り込んでしまうと、見慣れない人には情報過多で見辛いかもしれないが、平面図だけでは読み取れない立体の情報を付加する事によって、一枚の図面からおおよその空間のイメージを呼び起こすことが可能となるのだ。
建物雑想記 間取り図
せっかくなので図面の見方を説明しよう。K邸の最も上質の間である八帖の「座敷」を見てもらいたい。座敷の柱から部屋内に向かって斜線が描かれているが、この線によって囲まれた部分に「長押(なげし)」が取り付けられていることを表している。床の模様ではないので注意して見てもらいたい。長押は来客用の空間や主人の部屋など、上位の部屋に取り付けられる装飾材で、長押の有無によって部屋の格を判断することができる。

「CH=2850」は天井の高さのことで、ここでは畳面から天井板までの高さが2.85mだったことを示している。東側の玄関ポーチ脇に「GL±0」という表記があるが、この地盤面を基準にしたときの座敷の床面が70cm弱の高さだったことがわかる。一般的な住宅の床の高さは45cmなので、床下を自然換気するのに十分な高さが確保されていいたことも読み取れる。

「竿縁天井(12枚)」は天井の意匠のことを表している。枚数は天井板の数のことで、この枚数から一枚当りの巾が約30cmであることが逆算できる。天井板は巾が広い程高価な材料であることが知られている。また板の木目も天井の意匠を決める重要なポイントで、柾目、板目、杢目と大きく分けることができる。ここには柾目の天井板が使われていた。ちなみに隣の六帖間は板目の天井板で張られていた。天井からも六帖間と座敷の格の違いをしっかり分けているのが読み取れて興味深い。上下に矢印がついている点線は竿縁天井の竿の方向を示している。

壁や建具の脇に「シ」、「スカ」などの記号が書かれているが、これは壁面がどのような仕上になっているのかを表している。開口部がある場合はその使い勝手を、壁が立ち上がっている所はその仕上の種類を記号化して記入してある。壁面の仕上は建物によってまちまちなので、一般的なもの以外はその都度、略号を決めて描くことが多い。座敷では壁面が「スカ→砂壁」で、広縁側の建具が「シ→障子」、六帖間との取り合いが「フ→襖」、となっていることを示している。

その他、廻縁(天井と壁の取合いに付ける見切材)が二重になっていること、畳面から15cm上がったところに床の間があり、その横に違い棚を持つ脇床が設けられていたことなどが図面に描かれている。図面の線一本一本に全て意味があり、4cm四方に満たない「座敷」の部分だけでも相当の情報量が盛り込まれていることがお解りいただけたであろうか。

実測をしていると思いがけない疑問に出くわすことがよくある。そのような時は視点を変えてみたり、触ったりして不明な点を整理し、辻褄を合わせるようにしている。図面を起こしていく作業は、建物の設計者と時を超えて対話をすることに似ている。実際に建物が存在するので、どんな疑問であっても解は建物の中から見つけ出すことができるのである。

図面を描いていて印象に残った箇所として「四帖半」の天井がある。ここでは吹寄せの竿縁(通常一本のところを二本一組で取り付けられている)に、巾広材(45cm弱と座敷よりも幅広である)の天井板が使われていたのだ。長押の有無が部屋の格を決める要素であることは既に述べたが、K山邸で長押があるのは六帖間、座敷と奥座敷の三部屋だけである。「四帖半」は長押も無く、茶の間的な位置付けだが、天井に使われている仕上を見る限りはこの三部屋よりも凝った造りになっていたのだ。何故このような仕様になったのか?K邸では洋風の玄関は主に来客用として使い、普段は和風の内玄関から出入りしていたと予測できる。家族の使う部分として、長押を省略して格を下げつつも、予算的には凝った材料で造った。封建的な接客空間の間取りの中に家族本意の意匠を取り入れた、過渡期の住宅と言えるのではないだろうか。

今回の取材はカメラマン伊藤さんのシャッターを切る音がいつもよりも多いような気がした。やはり建物が無くなってしまうと思うと、自ずと指が動くのだろう。K邸は既に解体されてしまったが、価値ある建物の記録を残す事ができたのは嬉しい限りだ。多摩のあゆみの連載が建物の記録を残すことに繋がっていると実感した出来事であった。