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「ヴォーリズ館の階段」 日本獣医生命科学大学 武蔵野市

  • 建物雑想記
  • 2010.02.01

ヴォーリズ館
2009年はアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが日本で建築活動を開始してから100年を迎えた節目ということで、「ヴォーリズ展」が美術館で開催された年であった。ヴォーリズは明治38年(1905年)に英語教師として来日し、滋賀県近江八幡を拠点にキリスト教精神にもとづく様々な事業を行った(建築活動は言うまでもなく、メンソレータムで有名な近江兄弟社も関連の事業の一である)。ヴォーリズ建築事務所(現株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所)には1000棟を超える戦前期の建築記録が遺されており、住宅建築の他、キリスト教教会堂やミッション系の学校施設を多く手がけたことで有名だが、設計活動の拠点が関西ということもあり、関東で彼の作品を見かけることは稀だ。筆者も御茶ノ水の山の上ホテルと早稲田奉仕園スコットホールの設計者であること以外はほとんど知らなかったので「ヴォーリズ展」は彼の偉業を知るよい機会であった。
前置きが長くなってしまったが、ちょうどその頃多摩のあゆみの取材先として、日本獣医生命科学大学の洋館(本館)を調べていたところ、大学のキャンパスマップに「二号棟:ヴォーリズ館」という名前を発見したのだった。多摩地域にヴォーリズ建築事務所の建物があるとは思っていなかったので、急いで展示会の図録を引っ張り出してヴォーリズ建築主要作品リストを調べてみたが、残念ながら学校建築のリストには日本獣医生命科学大学(日本獣医学校)の文字は載っていなかった。リストは全作品が網羅されたものではないので、記載されていない可能性も十分考えられた。いずれにしても、数少ない多摩の洋館建築であることには変わりないので、取材を申し込むことにし、半信半疑のまま取材の当日を迎えた。庶務課の中原さんが「ヴォーリズ館」の図面のコピーを用意してくれていた。そこには1936年10月14日、ヴォーリズ建築事務所と明記されていたのであった。


高まる期待に反して「ヴォーリズ館」は上げ下げ窓があるだけの無愛想な洋館だった。正面の入口部分は当初の図面と違い増築されているようで、不自然な屋根がかかっており、外観を見る限りは建築事務所によってデザインされたとは言い難い建物だった。実習室として造られた場所だが、現在は学生サークルの部室として利用されているとのことだ。本当にヴォーリズ建築事務所の設計なのだろうか……、不安になりながら建物中に入ると、無骨な外観からは打って変わって、ゆったりとした階段が出迎えてくれた。上りやすさはもちろんのこと、踊り場には行き交う学生達がちょっとした会話を楽しむ仕掛が用意されていた。


ヴォーリズ館
多摩のあゆみ136号で昭和飛行機工業東工場のスチール階段の美しさを紹介したが、ここでも「階段」が建築の中で重要な場所として位置づけられていた。廊下は同じ視線の高さで通過する場所なのに対し、階段は視線の高さが上下に移動する所で、上下階をつなぐ空間のジャンクションなのである。特に「ヴォーリズ館」のように180度折り返す階段では、踊り場は上階と下階を同時に俯瞰できる舞台として機能する。踊り場をゆったりと確保し、窓側に造り付けのベンチを設けることで、単純に人と人がすれ違う場から人と人が出会う場所としての意味付が付加されていた。
ヴォーリズ館は前述の通り装飾もなく、機能を最優先したシンプルな建物だが、この階段だけは状況が違っていた。ここには学生生活を充実させるための仕掛を造るのだという設計者の意思が伝わってくる空間で、この階段の存在によってヴォーリズ建築事務所による設計だと納得させられてしまう力強さを持っていた。最小限のデザインで最大の効果を得ることができるのは、確固たる設計思想があるからこそ成せる技で、一見無骨なこの建物にも学ぶ事が多い。


 明治期に大勢の外国人技師が日本に来たが、その中でヴォーリズは異端的な存在であった。日本で建築事務所を興しながらも彼自身は母国で建築の実務に就いていた訳でも、建築の専門教育を受けていた訳でもなかった。ヴォーリズは北米YMCAを通じて来日した外国人英語教師・キリスト教の伝道者だったので、建築に携わるようになっても他の外国人建築家とは違い、建築活動を「キリスト教精神の表現」の一環として捉えていた。そのため、彼の事務所でデザインする建物は西洋建築様式を用いながらも、特定の様式そのものを表現するのが目的ではなく、古典的な様式の選択の中でクライアントの要望に応じて、より使いやすい建物を模索する姿勢を持っていた。
元一粒社ヴォーリズ建築事務所代表取締役の石田忠範氏は「ヴォーリズ展」の図録の中で以下のように述べている。「ヴォーリズが建築の各要素を立体芸術として組み立てるために応用した様式的ディテールは、要素と要素を関係づける機能であるが、それは人と人をつなぐ機能でもあり、その空間に住まう人への愛の実践である。」そして、その具体例として、「床との取合いは掃除しやすく、ゴミが溜まらぬように入り隅を丸くする」、「腰(床から腰の高さまでの壁のこと)は汚れの付きにくい木製のパネルか、あるいは麻のクロスを貼って、ペンキで仕上げる」、「光と風を豊かに採り入れる窓」、「階段は上がりやすく、(中略)上がりたくなるような勾配をつける」、「部屋には暖炉やベイ・ウインドウを設けて、人と人が出会うところをつくる」等を列挙している。
「ヴォーリズ館」の階段は上記の項目の大半が当てはまり、「空間に住まう人」すなわち「学生」への愛の実践が盛り込まれた空間であった。正にヴォーリズ建築事務所による設計思想が凝縮されている場所と言えよう。「ヴォーリズ館」は学生の自治に任されているとのことだが、このような上質な建物が学生に開放されているのは、実に素晴らしい環境である。階段の踊り場の窓の壁に、ヴォーリズの顔写真が飾ってあったのが、印象的だった。
建物雑想記 ヴォーリス階段
日本獣医生命科学大学の本館は明治42年(1909年)に建築された旧麻布区役所を昭和11年(1936年)に現在の場所に移築した建物だが、ヴォーリズ館の階段と比較してみると興味深い違いがある。本館の階段幅は約1.5m、ヴォーリズ館は約1.7m。本館の蹴上(一段の高さ)は約17cm、ヴォーリズ館は約15cmで、後者の方がゆったりと設計されているのがわかる。本館が元役所建築だったことを考えると、大学よりもお年寄りや体が不自由な人がより多く利用することが予想できるので、本館(旧区役所)の階段の方がゆったりと設計されてしかるべきだが、実際は逆である。本館は西洋様式のスタイルと機能がもとめられた時代の建物で、ヴォーリズ館はさらに使う人の視点に立った「生活」まで考慮された建物であることが、寸法の違いからも読み取れる。機会があれば、実際に二つの階段を上り下りして違いを体感していただけると面白いだろう。


【参考文献】
「ヴォーリズ建築の100年」 監修:山形政昭 発行:2008年 創元社