「擬洋風建築」という言葉を聞いたことがあるだろうか。明治初期、大工棟梁が東京や横浜に建てられた洋風建築を見聞し、伝統技術を駆使して見よう見真似で建てた洋風建築をこのように呼んでいる。和洋折衷の範疇に入るかもしれないが、そう括ってしまうには申し訳無い程、建てた職人は真剣に洋風にこだわって建てた、愛すべき建物なのである。明治も中頃になると、帝大卒などの建築教育を受けた建築家や技師が国内でも育ち、擬洋風の時代は幕を閉じる事になる。
さて、今回紹介する小机家はそのような明治8年頃に建てられた、多摩に現存する貴重な擬洋風建築の一つで、東京都の有形文化財に指定されている。小机家は江戸時代に山林業で財を成した五日市の名家で、当時の当主が深川木場へ商取引で出向いた時に見かけた銀座煉瓦街に感銘し、建てた住宅と伝えられている。銀座煉瓦街はお雇い外国人技術者ウォートルスによるデザインで、街区のファサードはジョージアン様式で建てられた西欧建築だ。煉瓦街のイメージなのに、外観に煉瓦が使われていないではないかと思うかもしれないが、実は銀座煉瓦街自体が赤煉瓦の街並だった訳でなく、建物は漆喰と石張りで仕上げられていたのである。それ故、この家のデザインのルーツが銀座煉瓦街にあると言ってもおかしくないのである。
小机家は現在では武蔵五日市駅から徒歩10分という便利な立地にあるが、五日市鉄道が開業するのが大正15年なので、それまでは街道筋とは言え山村で、そこにこのような洋風な建物が建つことは一大事だったに違いない。
では、今までの日本民家と何がどう違ったのか見てみたい。小机家の洋風建築としての特徴は、正面南側のベランダ(バルコニー)と、縦長の窓にある。まずはベランダに着目しよう。このような外部空間は、従来の日本家屋には存在しないのは確かだが、西欧で用いられていた形式でもない。暑い日差しから逃れるスペースで、ルーツは東南アジアにあると言われている。ベランダ側に設けられた窓は、人が出入りすることのできる観音開きの掃出し窓で、その外側に鉄製の鎧戸が設けられている。このような窓をフランス窓といい、遠くは南フランスやイタリアにルーツを辿ることができ、ヨーロッパでも比較的暖かい地域の窓である。このベランダとフランス窓という構成は、南欧を出発したフランス窓に、インドそして東南アジアを経由する過程でベランダが付加された植民地住宅の様式なのである。銀座煉瓦街に建った建築も、資料を見ると石造を主体とする西欧様式建築ではなく、植民地住宅由来の洋風建築が多かったことがわかる。
ベランダの一階天井部分は、木材を菱形に編んだ軽快な意匠になっているが、これも植民地住宅から引き継がれた意匠なのだ。細い板材を斜めに組んだ菱組は通気性に優れ、開放感もあり、暑い南のデザインであることに納得がいく。ベランダの天井のような細部まで、忠実に洋風建築を再現する当時の棟梁の設計力には驚くばかりである。
正面の外壁の意匠にも擬洋風建築ならではの仕事が施されている。コーナー部分では一見、石を交互に積み上げているように見えるが、石を積んでいる訳ではなく、漆喰で石積みのように見せかけているのだ。そうと知らなければ、見間違える程の完成度である。玄関土間の壁にはウサギをモチーフにした見事な鏝絵があり、この建物を建てた左官の腕の良さを知ることができる。擬洋風建築では、左官による漆喰の石積みの意匠がよく見られ「擬」の代名詞的な存在になっている。小机家ではベランダ柱の柱頭にローマ建築のオーダーを連想させる装飾があるが、これも左官による仕事だ。ヒョウタンが逆さまになったような形で柱頭の飾りにしては、締まりに欠ける。鏝絵を描く程の実力のある左官の仕事ならば、忠実にローマ様式の柱飾りを再現できたはずだが、ここが「擬」である所以で、職人の想像上のオリジナリティー溢れる造形を要所で見ることができる。
ベランダの下を通って、玄関に入ると洋風な外観とは変わって、日本的な民家の空間が広がっている。田の字プランを基本とする典型的な間取りだが、何かが違うように感じるのは、畳越しに見える縦長のフランス窓のせいだろう。通常の日本家屋の開口部は、柱と柱の間に設けられ、掃出しの開口部であれば、一間半から二間の幅があり、横長の開口部となるが、小机邸の窓は幅が半間程と狭く、細長い。窓は小さいものの充分な明るさがあるのは、窓にガラスがはめてあるからだ。今では窓にガラスが入るのは当たり前だが、一般家庭でガラス窓が使われ始めるのは、大正時代まで待たなくてはならない。明治初期に窓にガラスを入れた小机家は、正に文明開化を先取りした仕様だったといえよう。ただ、西欧由来の観音開きの鎧戸とフランス窓を二重に窓に付けるためには、外側を外開き、内側を内開きにしなくてはならず、雨の多い日本では内開きの仕様は雨漏れのリスクが拭えない事から、その後採用されなくなる。小机家の内開きガラス戸は、西欧の仕様をそのまま取り入れた窓として、時代を感じさせる構造になっている。
和室の襖紙にも注目したい。一階の襖では「銀杏」をモチーフにした柄と繊細な「唐草模様」の襖紙が使われているが、和風とも洋風とも言えるパターンで興味深い。襖紙は建築当初から張り替えられていないとのことで、襖の柄が昔のパターン帳に載っていたと先代が話していたことを小机さんが教えてくれた。窓ガラス同様、舶来の素材を使ったのではないかと思い、調べてみることにした。明治初期といえばウィリアム・モリスが壁紙を生産している時期に重なるので、壁紙のパターン・ブックを手に探したが、似た柄はあるものの一致するものはなかった。次に思い当たったのが、更紗だ。江戸からかみの老舗である(株)東京松屋で、小机家の襖紙について調べてもらうことにした。間もなく返事があり、なんと唐草模様は更紗の「すずらん唐草」柄として、現在でも東京松屋に版があるとのことだった。イチョウの柄は現在は絶版しているが、昔は同じ版があったとのことで、この襖紙も更紗であることがわかった。
小机家住宅は築140年にもなるが、竣工当時の姿を維持しながら小机さんが代々丁寧に住み継ぎ、今に至っている(現在は住まいではないが、週末にオープンする併設の喫茶室のお客に対して開放されている)。10年で街の景色が変わってしまうほど、建築も消費されてしまう現在にあって、明治時代の建物がしっかりと存在し、そしてその建築を支える技が今でも存続し続けていことは、素晴らしい事である。
「多摩の擬洋風建築」 小机家住宅 あきる野市
- 2012.02.01