「洋館のイメージ」上恩方郵便局 八王子市
- 2005.05.01
「洋館への誘い」のコラムとしてスタートした建物雑想記なのだが、そもそもタイトルにある「洋館」って何だろう。そんな疑問がふと沸いてきた。都心に多く残っている「洋館」は西欧の様式建築の流れの中で捉えることができるのに、多摩の建物は様式と言えるようなデザイン的な側面の建築は少なく、建築史の教科書をひっくり返しても位置づけがよくわからない。それでも「洋館」と呼びたくなる建物達なのである。今回は上恩方郵便局を通して「洋館」をイメージさせるデザインコードを探ってみたい。
上恩方郵便局は正面道路側と裏側では、使われている意匠が明確に区別されている建物で、今回のテーマを探るのにはまたとない物件だ。正面は「洋風」で、裏側は「和風」と言えるだろう。郵便局を訪れた時にはぜひ裏にも回って違いを見比べていただきたい。では、何故でそう区別できるか建物を部位別に見てみたい。
【縦長の窓】 洋館風に見える最大のポイントは開口部のプロポーションとそのシンメトリック(左右対称)な配置にある。特徴を述べるならば、和風建築の開口部は横長で、洋風は縦長になる。これは建物における壁面の位置づけの違いからくる形状の違いで、前者の壁は構造耐力をあまり負担しない構造(軸組構造)なので、柱と柱の間を全て開口できるのに対して、後者は壁面自体が建物の重要な構造要素(組石造)なので、できるだけ構造的な負担が少ないように窓を開口するためである。正面道路側の一階の窓は縦長で二階及び裏側の窓は日本的な横長の引き違いの窓が開口されているが、枠や桟がペンキで塗られているので、一見和風に見えない。木部を白系で着色することは日本ではあまり見られない手法で、ペンキによる塗装も洋風を思い浮かばせる重要な要素と言えるだろう。
【切妻屋根のデザイン】 正面切妻部分の妻面(入口の上の庇の部分)にハーフティンバーを思わせる丸みを帯びた付け束が取り付けられている。和風建築では、束は梁に対して垂直に立つのが一般的だ。また、鼻隠しを付けて垂木を隠し、軒裏を水平に張り上げる点も和風建築では見られない意匠だ。破風板を軒先部分で耳のように下げる手法については、洋館の中に特定のお手本があるとも思えないが、現在でも洋風チックな住宅でよく見かけるデザインとなっている。屋根の頂部に取り付られた菱形の棟飾りについても一筆しておきたい。先が尖った(上向きの方向性を意識させた)棟飾りとすることで、かろうじて洋風にまとまっている。鬼瓦を意識しながらも、素直に日本の鬼瓦にはしたくなかった。そんな葛藤が伝わってきそうなデザインだ。
【棟の端部】 屋根の基本形は切妻屋根となっているものの、棟付近で切妻屋根の端部を斜めに切り落としている。このような屋根はドイツの田園住宅に見られるデザインで、欧米でも一般的な形ではないようだ。どういう経緯でこの屋根形状が決まったのか興味のあるところだ。
【南京下見板張りの壁】 和風建築では柱と柱の内側に壁を造る「真壁」なのに対して、洋風建築では柱の外側に壁をつくる「大壁」で造られることが多い。正面道路側では細い板材を下から上に張り上げていく南京下見板張り(大壁)が採用されている。このような張り方は欧米の植民地建築に多く見られる手法である。裏側の壁も一見同じような下見板張になっているように見えるが、注意してみると横材が縦材(押縁)で押さえられているのがわかる。和風建築でも外壁の雨の当たる部分を保護するために、板材で覆うことがあるが、このような壁を押縁下見板張という。
この手の「洋館」の意匠は建てた棟梁の洋風に対するイメージによる所が大きく、決め手となるデザインコードを絞り込むことは難しいだろう。結局「和風建築ではない建物」ということが特徴だと言わざるを得ない。このような建物なので、建築史の中で体系付けることは不可能に近いのだろう。
「違和感」という言葉があるが、建設当初は正にこんなイメージを抱いた人が多かったのではないだろうか。とは言え時代を先取りした一風変わったデザインには建築に携わった人々の意気込みが感じられ、それが今でも建物の魅力となっている。