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「記録をとること」解体の前にしたいこと

  • 建物雑想記
  • 2006.02.01
最近気になった田無、立川、上野の歯科医院の話をしたい。共に大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造建築だ。洋風建築といっても、地元の大工が洋風なデザインを勉強して建てたと思われる建物で、様式建築にあるようなオーダーが取り入れられている訳でもなく、和風ではないということが大きな特徴と言える建物達だ。瓦屋根ながらも浅い軒の出、そして縦長の大きな窓を持つ外観は、当時一般的に建てられていた和風住宅とは明らかに違う。

医療行為が欧米化していく中で、町医者も障子と引戸で仕切られた和風の診療室ではなく、患者のプライバシーや衛生を重視したデザインを建築にも取り入れるようになった。特徴的な縦長窓は診療室に採光を取り入れるための機能的なデザインと言えよう。また、洋風な外観は当時の最先端の医療を取り入れているということのステータスシンボル的な意味合いもあったのではないかと僕は思っている。

これらの医院建築は大正から昭和初期という時代性を反映した外観ということで街並みに花を添えているが、築70年以上経った現在では構造的な傷みも無視できず、それぞれの置かれている状況は複雑である。田無の歯科医院は残念ながら平成16年に解体され、立川の旧医院は現状をなんとか維持している状態だ。そんな中で上野の建物はこれから改修の準備をしている幸運な建物である。築年数のことを考えると、改修を抜きにして今後の維持・活用は難しいと言えよう。

建物には寿命があるのでどんな頑強な建築でもいずれは解体の時期がくる。ただ、竣工してから解体されるまでの期間が戦後の高度経済成長期以降は極端に短くなっていて、近所を見回しても、常にどこかで解体作業が行われているほど建物の解体は日常的な風景になっている。

解体される建物の中には、改修すれば今後も使えるものも多いと思われるが、現在の経済の仕組みが新築の方向に向かっているので、それは仕方ないことかもしれない。しかしながら、同じ解体でもそのアプローチは建物の質によって変える必要があるだろう。文化財的な価値のある建築は、後世にその文化を伝えるためにも解体前に記録調査をすることが望まれる。

幸い田無の歯科医院は解体の前にカメラマン(伊藤龍也氏)による記録写真を撮ることができたので、今でも当時の歯科医院を追体験することができるが、多くの良質な建物はこのような機会に恵まれることなく、所有者も自分の建物の文化価値に気が付かないまま解体してしまうケースが多い。

旧田無歯科医院 撮影:伊藤龍也

旧田無歯科医院 撮影:伊藤龍也



ここで思い出されるのが平成8年に導入された国の文化財登録制度だ。この制度は都市部での開発が進むにつれて、どんどん姿を消しつつあった近代建築や近代土木建造物を把握するためにつくられた制度で、登録することによって文化財的価値のある建造物が身近に多く存している状況を周知することを目的としている。

登録制度はそれまでの文化財指定制度とは大きく違い、手厚い保護の基で保存することが目的ではなく、価値ある建造物を維持・活用していくことに主眼がおかれている。そのため国からの補助は指定文化財に比べると少ないが、登録する事による日常生活への制約もほとんどなく、さらに維持できなくなった場合は登録を抹消して解体することも可能である。

制度ができて8年、平成17年10月に「登録有形文化財建造物5000件記念シンポジウム」が開かれた。シンポジウムでは5000件は一つの到達点で、これからどんどん登録数を増やし、将来は5万件を目指すと大きな目標を掲げていた。仮に5年で5000件を登録していくとすると、5万件まで総数を増やすには今後45年もかかる計算になる。既に登録されている建物を45年間も維持・活用できるかと言えば、おそらく多くの建造物は構造的寿命がきて、解体を余儀なくされてしまうだろう。人口問題ではないが、そのうち登録件数と解体件数が逆転する時もくるかもしれない。それでも所有者の維持できる範囲内で、可能な限り建物を活用していこうという緩やな制度が登録文化財だと僕は認識している。

仮に5万件登録できたとしたらどのような状況になるのか、ざっくり予想してみた。東京都の人口は日本の人口の1割なので、5000件は都内に登録文化財があってもおかしくはない。とすると各市区町村に100件も登録文化財が存在することになる。現在東京都でもっとも登録数の多い文京区が48件なので、100件という数は決して大げさな数ではないような気がする。それどころか100件では足りないという意見もあるかもしれない。それこそ街を歩けば登録文化財に出くわすような、どこにでもごまんとあるような身近な文化財をこの制度は目指しているのである。

参考までに都内の市区別登録件数を表にしてみた。平成17年現在全国で5000件程登録件数があるが、東京都の内訳は193件と人口比率で考えると少なすぎる数だと言えるだろう。この8年のうちに、建ったマンションの数や、巨大再開発地区のことを考えると、解体された良質な近代建築の方が数としては遙かに多いと思われる。

東京都の登録有形文化財数(H17年) 右の写真:上野の歯科医院

東京都の登録有形文化財数(H17年) 右の写真:上野の歯科医院



登録文化財が一件以上ある地域を表に列挙したので、表から漏れている市区は登録のない場所ということになる。今まで都区内には相当数の登録文化財があると思っていたが、文京区が突出して数が多いだけで、驚いたことに約半数の区でこの制度を活用していないのが読みとれる。多摩地域になるとその数はもっと少なく、制度を有効に利用しているのは三鷹市くらいのようだ。

登録文化財のない市区には登録に値する建造物が存在しないのかと言うと、そういう訳ではなく、登録の有無は行政の取り組みや建物に対する市民活動の違いによるところが大きい。積極的に登録制度を導入している市区は近代建築に対する住民の理解も深く、結果としてどんどん登録数が増え、そうでない地域は従前通りの方法で開発が進んでいるように思える。もちろん、地方公共団体も独自の取り組みで何らかの対策を模索しているとは思うが、自分の地域にどういう近代建築が残っているのかも把握できていない市区も多いのが現状ではないだろうか。

登録文化財制度の活用は地方公共団体と連携してその数を増やしていくことが望ましいとされているが、制度ができて8年経っても一部の地域を除いてほとんど動きがなかった。その結果は、読者の皆さんの周りの風景を思い浮かべてもらえば状況を理解してもらえると思う。建て替える前にそこに何があったのか思い出すこともできないほど、新しい街並みがどんどんできあがっている。

駅前が再開発され、幹線道路が通り、マンションが建つ風景を今更否定するつもりは無いが、変化の速度が人間生活の許容範囲を超えているような気がしてならない。昭和を含めた近代史の断絶が起こらないようにするためにも、壊した物の記録くらいは残せる方法論を組み立てる必要がある。

田無の歯科医院も登録文化財に登録になっていれば、もう少し違った解体の仕方があったかもしれない。先程も触れたが、登録文化財は所有者の意向で解体も可能だが、解体する場合はその旨届け出を出すことになっている。この解体の届け出が非常に重要だと僕は思っている。所有者がその建物をこれ以上維持できないと情報発信することにより、取り壊すまでに専門家が記録調査をすることが可能だし、あるいは建物の一部を移築、部材の再利用の検討もできるかもしれない。

立川市 旧梅田診療所

立川市 旧梅田診療所



立川の旧梅田診療所は、平成16年に登録文化財に登録された。現在、診療行為は行われていないが、建物は所有者の家族で維持管理されている。家族構成の変化や、相続の問題が発生した場合は解体という選択肢もあるだろう。それでも登録リストに載っていることで、解体時には地方公共団体や専門家から、何らかのリアクションを起こすことが可能だ。

登録されていない建物は所有者自信が情報発信をしないと、調査どころか外観の写真を残すことも難しい。しかしながら、解体する旨を告知する人がどれだけいるだろうか?まずいないだろう。解体されてはじめてその事実を知るのが現状である。

将来解体する可能性のある建造物を登録することは、維持・活用を目標とする制度の意図するところではないかもしれないが、既にそのような理想論を言っている場合ではないように思えるのだ。建物の置かれている状況に関わらず、所有者の意向があれば、登録することはその建物が存在したという記録を残すためにも大きな意味があると僕は思っている。

上野の歯科医院は現在でも診療行為の行われている現役の建物で、年末に伝統技法研究会で改修のための基礎調査が行われた。僕も半日ではあるが調査に参加することができた。このような建物が今後も現役で使われることは嬉しいことだ。もちろん登録文化財にすることも視野に入っており、制度の理想とするところでもある。

3つの歯科医院について述べてきたが、上野の歯科医院のような活用例は残念ながら少数派で、大半は建築の文化財的価値の如何を問わず普通に解体されている。

幸い都内には良質な戦前の建物が今でも数多く残っているので、今後の地方公共団体の方向性に期待したい。

■参考資料:前村記念博物館
■関連記事:登録有形文化財・旧梅田診療所
■本文は季刊誌多摩のあゆみ「建築雑想記」の原稿を加筆・訂正し、伝統技法研究会の会報「伝統技法」に寄稿したものです