「塊の魅力」JR八王子機関庫 八王子市
- 2006.11.01
鉄道の世界はその名の通り「鉄」の塊がふんだんに使われている業界だ。私は住宅を扱うことが多いので塊と言えば無垢の木材を連想してしまうのだが、ここには無垢の鋼材がゴロゴロしている。無垢材にはその素材の素直な質感が表れていて魅力がある。
建築でも鉄を扱うが、その場合は鉄の重さが弱点となるのでH型鋼や鋼管などのように、少ない鉄の量で最大限の強度が出る矩形(鉄骨)に製材された材料を使うので、マッシブなイメージとはちょっと違う。その点、レールに代表される鉄道の鋼材は形もズンクリムックリしていて、塊という印象が強い。普段見慣れない素材に興味津々で八王子機関庫を見学した。
機関庫には鋼材を加工する鍛冶場が残っていた。正に鉄を扱う業界ならではの施設である。現在は使われていない鍛冶場だが、棚にレールの切れ端や鉄の延べ棒がいくつも置いてあった。これを溶かして加工していたのだろうか…。鉄の塊に魅せられて棚のレールを手に取ってみた。ずっしりと腕に伝わる荷重からは力強さと共に安心感を覚えた。男のロマンをくすぐる素材である。
八王子機関区は明治時代からある機関区で、現在の機関庫は昭和の建物に建て替えられているが、基礎の一部に明治時代の遺構がそのまま残っているという。明治の遺構は車両を点検するための煉瓦積みの溝で、今でも現役だ。煉瓦という材料も「塊」が美しい素材である。今回は煉瓦について少し掘り下げてみたい。
煉瓦は幕末にキリスト教と共に欧米の文化の一端として日本に伝わった材料だ。こちらは粘土を焼成して造る素材で、積み上げることで基礎や壁などの建物の構造を構成する。明治維新以降洋風建築をはじめ新しい時代を担う建物を造るための材料として多く用いられた。しかしながら関東大震災以降は耐震性の問題で煉瓦自体を構造に用いることは無くなり、その後は主に洋風の装飾材として使われるようになる。
煉瓦は英語では「brick(ブリック)」と言うが、見えかかりや形によって細かく日本の呼称がつけられている(図参照)。明治時代の人々は翻訳が実にうまく、これほど愛着のある名前の付けられた素材は他に思い浮かばない。新しい時代の素材である煉瓦を自分達の職として取り組んでいた職人の意気込みが感じられる。現在でも煉瓦を扱う現場では「ようかん」や「はんぺん」など個性的な名前が飛び交っている。
煉瓦の大きさは210×100×60(mm)と規格寸法が決まっている。この大きさの煉瓦を「おなま」といい、煉瓦造はこの「おなま」を一つ一つ積み上げて建物を造っていく手間のかかる構造である。明治時代の煉瓦は225×110×55(mm)と現在の寸法とは少し違っていたらしい。機関庫の溝の煉瓦を測ってみると目地を含めて高さ60 mm、小口(短手方向)が同120(mm)となっていたので、ここからも煉瓦造の溝は明治時代に積まれたことが予測できる。明治30年に八王子煉瓦製造株式会社が由井村に開業しており、地元の煉瓦で積まれた可能性が高い(文末の参考文献より)。
煉瓦は西欧から輸入された素材であることは既に述べたが、積み方は土地(国)によって違い、様々な積み方が日本に入ってきた。
長手だけの段、小口だけの段を一段おきに積む方式は「イギリス積み」と呼ばれる。イギリス積みは強度が強く、使う煉瓦の数が少なく済むことから土木構造物や鉄道関連施設に多く使われた。八王子機関庫の溝もこの積み方で積まれていた。多摩川に架かるJRの多摩川橋梁もイギリス積みで積まれた貴重な近代遺産の一つである。
煉瓦の長手と小口を交互に組む方式を「フランス積み」と呼び、最も美しい積み方といわれているが、日本ではあまり多く見られない方式である。多摩地域では、田村酒造場の煙突がこのフランス積みで積まれている。既に煙突としての役目は終えているが、周辺のランドマークとして凛々しい姿を保っている。その他、赤煉瓦で有名な東京駅に見られる「小口積み(ドイツ積み)」や花壇や塀などで見られる「長手積み」などがある。
このように煉瓦の積み方にはバリエーションがあるが、芋目地(縦目地が一直線に通った目地)にしない点は共通している。これは目地が通ってしまうと強度が出ないためで、煉瓦積みの基本である。
現在の建物に見られる煉瓦のテクスチャーはオナマをスライスしたタイル状の物を使うケースが多く、構造の制約を受けないので芋目地のデザインを見かけることもあるが、基本を守った方が煉瓦らしくて美しい。それでも素材の持つ質感はやはりオナマによる組石造にはかなわない。
機関庫の点検溝は、煉瓦が煉瓦らしい使われ方をしていた良き時代の構造物と言えよう。
■参考文献
多摩のあゆみ102号「煉瓦に見た多摩の近代化」清野利明