今回も引き続き木造校舎について言及したい。前号では旧小河内小学校について建物の構造や間取りの規格について紹介したが、今回はもう少し視野を広げて木造校舎に対する一般論について考察したい。
木造校舎と言えば、「懐かしさ」や「安心感」などのプラスのイメージが沸いてくるのに対して、鉄筋コンクリート校舎となると「冷たい」、「無機質」とマイナスのイメージを抱いてしまう。実体験として木造と鉄筋コンクリート校舎の両方で過ごした上で受けたイメージならば、それはそれで納得がいくが、木造校舎で学んだことが無いにもかかわらず、木造に対して好印象を抱くのは何故だろうか。どうも潜在的にこのように思える節があるような気がするのだ。
レトロカメラマンこと伊藤さんと共に多摩に現存する木造校舎を訪れたが、その時の印象もやはり同じだった。現在でも残っているということだけで、評価を高くしている可能性も無いとは言えないが、それだけではないはずである。
建築的に見ると、校舎は北側に廊下、南側に教室という片廊下式の平面形式が採用されているケースが多い。この間取りは木造だろうが鉄筋コンクリート造だろうが構造による違いはなく、さらには都市部も郊外も、農山間部も変わること無く同じ建物が建てられた。規模の大小はあるものの似たような校舎が全国に建てられたのである。したがって、現存している木造校舎も特に空間的にデザイン的に優れているという訳でもなく、純粋に「木造である」という特徴しかない。木造校舎から受ける感覚は、正に「木」という素材の醸し出す雰囲気によるものと言えるだろう。
次に鉄筋コンクリート造はなぜマイナスのイメージが付きまとうのか探ってみたい。鉄筋コンクリート造校舎が増えたのは、戦後の高度経済成長期だと思っていたが、実は戦前から建てられていたのだ。都市部では大正時代に入ると鉄筋コンクリート造校舎が建設されるようになり、大正12年の関東大震災以降は、学校施設の耐震化、不燃化をはかるためにもっぱら鉄筋コンクリート造で建てられるようになった。
関東大震災の復興計画の一環で建てられた小学校(復興小学校)の一つで文京区に現存する旧元町小学校は、隣接する元町公園と一体してデザインされ、災害時の避難所としての役割を含めて計画された。敷地の高低差を生かした公園はスペインの公園を連想させるデザインで、今でも近隣の人々の憩いの場となっている。小学校の校舎は平成18年まで専門学校の校舎として使われていたが、今は残念ながら空家の状態である。一方、銀座に現存する復興小学校の泰明小学校は、昭和5年に建てられた校舎が現在でも現役の小学校として使われている。平面形(間取り)や窓のデザインにアーチや曲線を取り入れた鉄筋コンクリートならではの意匠が特徴である。
このように構造が鉄筋コンクリートであっても復興小学校は計画やデザイン性に優れた校舎が多い。そしてこれらの復興小学校を訪れると木造校舎と同じように、「懐かしさ」や「癒される感覚」を受けるのである。当時の校舎は、私達が学んだ戦後に建てられた鉄筋コンクリート校舎とは雰囲気が違うようである。どうも建物から受ける印象は構造の差異だけではなさそうだ。
復興小学校などの戦前に建てられた鉄筋コンクリート校舎と、戦後昭和30年代以降から高度経済成長期に建てられた校舎を比較してみると、明らかに意匠(デザイン)の違いがある。戦後の校舎には装飾が一切施されていないのである。復興小学校もそれ以前の様式建築と比較すると装飾は控えめで単純化されているが、これはモダニズム建築の特徴と言えよう。一方、戦後の校舎は施工の合理化を追求した結果に出てきた形態にすぎず、デザインされた建物とは言いがたい。また敷地と校舎の関係にしても、復興小学校では、敷地と近隣の関係を意識して、建物をデザインしていた様子が読み取れるが、戦後つくられた学校からは当時のような工夫を感じ取ることは稀だ。
設計姿勢の温度差が戦前と戦後にはあったのではないだろうか。戦後の校舎からは「子供達のためによりいい空間をデザインするのだ」という意思が残念ながら伝わってこない。戦後の復興期、ベビーブームそして高度経済成長に伴う人口の増加など、戦後の学校建築の置かれた環境下では、設計の質を高める余裕などはなく、量をこなすことが求められた時代であった。とにかく多くの児童を校舎に収容し、少ない人員で教育し、生徒を管理するためにはどうすればいいのか。当時の設計の主体は、授業を受ける生徒よりも、管理する側にあったと言えよう。また、施工現場も工期に追われ、コツコツ丁寧に造る事が難しい時代だったのである。
さて、話を木造校舎に戻そう。一般的に木材は、柔らかく温かみのある感触を有し、室内の温度及び湿度の緩和を促進させる素材とされている。したがって「木造」ということだけで、プラスのイメージになると言っても過言でない。確かに素材の持つ効果は絶大かもしれないが、木材は「昔から建物に使われてきた素材」である点にも着目したい。
素材に対する安心感が、鉄筋コンクリートとは比較にならない程高く、長年蓄積されている技術やノウハウも層が厚いと言えるだろう。都心部ならば鉄筋コンクリートや鉄骨の建物を建てる機会は多いかもしれないが、戦前や戦後間もない時期に、この手の素材を自由自在に操れる職人が東京郊外や山間部にどれだけいただろうか。都心部を除けば木造以外の建物などは役所くらいで、あとは洋風のデザインであっても木造で建てるケースが多かったはずである。
木造校舎は間取りも単純で、凝った装飾がある訳ではないが、学校の建つ地域の職人の持っている技術だけで十分に建てることが可能だったのである。これは建物にとって何よりも幸せなことである。慣れない鉄筋コンクリート造だったらそうも行かないはずで、品質の確保もままならないだろう。建設に関わった職人は、自らの持っている技術で建てる事ができるとなれば、惜しみなく労力を注ぎ込んで学校を建てたと想像できる。職人とはそういう人種の人間だからだ。職人の心意気や手仕事が建物に生きていると言えよう。木造校舎の持つ魅力はここにあると思う。
結局、建物を設計するのも造るのも「人」だと思う。建築は人が造る構築物で、造る人の意思が建物に反映される。気持ちよく設計すれば、いいデザインが生まれ、心を込めて造れば気持ちのいい建物ができあがる。木造校舎から「懐かしさ」や「安心感」を覚えるのは、人の手で丁寧に造くられ、そして経験に基づく確かな技術で建てられたからではないだろうか。
「木造校舎はなぜ懐かしく感じるのか?」 復興小学校
- 2008.11.01