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「縦長窓への憧れ」 山口貯水池湖管理事務所 入間市

  • 建物雑想記
  • 2010.05.01
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山口貯水池湖管理事務所
本誌135号で取材した山口第一貯水池を再び訪れた。前回は主に貯水塔の建物につていて様式建築の魅力という視点で紹介したが、今回は貯水塔の前に建つ管理事務所にスポットを当てて掘り下げてみたい。山口貯水池は東京の近代水道整備の一つの終着点的な位置付けで、水道施設の意匠面でも一つの到達点と捉える事ができる。ギリシア・ローマの様式建築を彷彿させるデザインから始まり、村山第一取水塔の「バロック」、そして山口第一取水塔の左右対称形の「古典主義」のプロポーションを踏襲しながらも、脱様式的な意匠へと変遷し、そして昭和9(1934)年建築の村山・山口貯水池管理事務所では、当時の最先端のデザインである「インターナショナルスタイル」で建てられていたのである。東京都の水道施設を見ていくと西洋様式建築の縮図をたどる事ができ、この物語的なセンスには目を見張るモノがある。
西洋の建築様式の基本はギリシアにルーツがあり、紀元前八世紀頃にドリス式、イオニア式、コリント式の三大オーダーができあがる。オーダーは建物の造形とプロポーションを決定する構成要素の基本である。その後、紀元前六世紀のローマで建築様式は技術的に発展・普及し、ビザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、そして絢爛豪華と言われるバロックへと変化していく。個々の様式の解説はここでは割愛させていただくが、西洋建築様式は基本的にこの三大オーダーの発展系ととらえることができる。
ギリシアオーダー
一八世紀に入ると、近代科学の発展に従ってルネサンス以降続いてきた古典主義的な伝統に対する社会的な批判が起こるようになり、建築の分野でも、過剰装飾が特徴なバロック様式に対する否定から、様式本来の純粋な形が追求されるようになった。様式建築の中での古代建築への原点回帰が起こり、「新古典主義様式」という時代に移り変わる。
産業革命以降は鉄とガラスの時代へと変化していくが、建築様式としてはまだ新古典主義の時代であった。明治維新を経て日本が学んだ西洋建築様式は正にこの時代の転換期に位置し、国家の威厳や象徴性が求められたことから、新古典主義様式が積極的に取り入れられた。今日でも水道施設の意匠としてギリシア・ローマの古代様式からバロックまでの幅広い時代の西洋建築様式を見る事ができるのは、このような時代性に起因する。
そして一九世紀後半には、鋳物の技術の発展によりアール・ヌーボーという今までの様式とは違う、植物的な装飾が流行するようになり、モダニズムの時代へと移行していく。アール・デコやインターナショナル・スタイルもこのモダニズム建築の一つとして捉えられており、一括りに特徴付けるのはなかなか難しい。古典的な様式主義を批判し、鉄とガラスそして鉄筋コンクリートという産業革命以降に登場した素材を用いて、機能性や合理性を追求した建築とくくる事ができるだろう。

ガラスと鉄、そして鉄筋コンクリートが建築にもたらした効果とは何だったのか。西洋の建物は基本的にレンガや石を積み上げて壁を造る「組積造」が多く、壁が構造の決め手となっていた。つまり、壁が構造体なので大きな窓を開けようとしても限度があり、室内は暗くなりがちであった。洋風建築の開口部の特徴として縦長の窓が挙げられるが、これは「組積造」のため横長にすると構造的に不利になるからである。鉄と鉄筋コンクリートの登場により、梁と柱による架構が可能になり、間取りを壁に制約されずに自由に配置する事が可能になった。また壁が構造体より開放されたことで、窓も好きな位置に大きく開口することができるようになった。産業革命による技術革新は建築に開放的な明るい空間を可能にしたのである。
窓の形
近代建築の巨匠の一人であるル・コルビジェ【※】は1925年(昭和1年)に近代建築の五原則を提案した。これは当時最新の構造技術であった鉄筋コンクリートを用いた建築の表現として、世界的に大きな影響を与えた。一般的にこの五原則を基本にし、古典建築のようにシンメトリー(左右対称形)ではない正面外観、装飾の無いフラットな壁面(白色の場合が多い)、平らな屋根、横長の水平連続窓、自由な間取りのような特徴を持つ建物のことをインターナショナル・スタイルと呼んでいる。

さて、大変前置きが長くなったが村山・山口貯水池管理事務所のようなスタイルが発生した背景を理解して頂けたであろうか。管理事務所のデザイン的な特徴を見て行くと、上記のインターナショナル・スタイルの項目のほとんどが当てはまるのである。管理事務所が建ったのは昭和9年(1934年)と考えられるので、世界の建築デザインの流れを意識しながら、同時進行で設計されたと判断できる。当日の設計者の意識の高さには驚かされるばかりである。
しかしながら、一つだけ腑に落ちない点がある。それは「窓」の形だ。近代建築の五原則を意識して設計しながらも、「水平連続窓」をわざわざ「縦長の窓」に小分けしているのだ。管理事務所の構造は壁式構造ではなく、「柱」と「梁」が剛接合された鉄筋コンクリート造(ラーメン構造)になっているはずなので、構造上の壁は必要なく、柱間は全て水平連続窓にすることが可能だったはずだが、何故?これはおそらく、水平連続窓は我々日本人にとって新しい形態ではなく【☆】、明るく開放的なことが、切実な問題になっていなかったからであろう。インターナショナル・スタイルも当時の設計者にとっては、舶来のデザインの延長で、和風ではない目新しさが求められたのではないだろうか。そして、日本的な横長窓ではなく、憧れであった洋館の縦長窓でデザインしたと思われる。
窓のイメージは内部の空間から見ると納得がいく、レトロカメラマンこと伊藤氏が「迎賓館」と言いたくなる程、内部はゴージャスな洋館のつくりなのである。大理石のマントルピースのデザインはインターナショナル・スタイルではなく、アール・デコ的な雰囲気を醸し出している。なるほど確かにこの空間には縦長の窓が似合うであろう。やはり、まだ洋館への憧れの時代だったのである。
水平連続窓

【※】日本では上野の国立西洋美術館の設計者として有名。コルビジュの一連の作品を世界遺産に登録する動きが近年高まっている。【☆】元来、日本の木造建築は柱と梁による構造であったので、インターナショナル・スタイルの特徴である「水平連続窓」や「自由な間取り」は、伝統木造建築の中で実現できていたのである。しかしながら、後の耐震基準により、日本の木造建築の持っていた開放的な窓は、耐力壁に置き換わり、皮肉にも「壁」による建築へと変って行くのである。

【参考文献】
「近代建築史」 編著:鈴木博之 発行:2009年 市ヶ谷出版社