「時代を考証する楽しみ」 西武所沢駅舎 所沢市
- 2010.08.01
西武鉄道の所沢駅は明治28年の開業であるが、今まで時代と共に増改築がされているものの、開業時の建物の一部が未だに残っている珍しい駅である。しかしながら、いよいよ建て替えの時期が来たとのことで、所沢市教育委員会の依頼を受け、カメラマン伊藤龍也氏と共に本誌で記録を残すこととなった。
所沢駅は西武線沿線の駅の中では馴染みの深い駅だが、その駅に戦前に建てられたプラットホームが現在(平成22年3月)でも現役で使われているというのである。しかしながら、そのような視点で所沢駅のプラットホームの記憶を辿ってもなかなかイメージが浮かび上がってこない。所沢駅のホームの記憶と言えば、一番ホームに「スターバックス」があった等、新しい施設のことばかりである。これは所沢駅に限ったことではないが、電車に乗り降りするのに忙しないホームでは、なかなか足元や頭の上の意匠まで気にかけて観察することはないようである。
さて、所沢駅で改めてプラットホームの屋根を見てみると、確かに古い木造の部分がある。2番・3番線、4番・5番線のホームの一部に鉄骨造の屋根に混じって木造の架構が残っているではないか。二つのホームの屋根は共に木造のトラス構造ではあるが、よく観察すると、お互い特徴的な造りで興味深い。今回はこの屋根にスポットを当てて話を進めたい。
屋根の架構と言っても、一見同じような屋根に見えるが、片方は骨太で重厚な印象を受け、方や線が細く軽快なイメージが残る。この違いは何処に所以するのであろうか………。これらのホームに関する詳しい図面や資料は残念ながら西武鉄道にも残っていないようだが、開業時の架構がそのまま使われている可能性があるとのことだ。となると4番・5番線は大正の架構で、2番・3番線はなんと明治時代のものということもあり得るのである!!いろいろと期待は膨らむが、とにかく建物が残っているのでまずは屋根トラスの架構の実測から始めてみることにした。
図はプラットホームの断面図である。このように斜めの部材を使って三角形で構成された構造をトラス構造というが、この構造を用いることで梁が下へと撓む力を分散させることができ、今までの日本の架構よりも細い材料で広い空間を架ける事が可能になった。
4番・5番線のトラス構造は三角形の頂部から陸梁まで伸びる束(真束)を持つ「キングポストトラス」になっている。真束、方杖に角材を用い、陸梁(w110×h150)でトラスを組んだ、非常に素直な構成である。一方、2番・3番線の構造はかなり複雑で、独特な屋根トラスだ。柱や方杖を陸梁(w60×h120)が挟み込むような構成となっている。梁間が4.0mと4番・5番線の梁間2.73mよりも1m以上も長いにもかかわらず、陸梁の寸法はこちらの方が小さい材料が使われている。細い材料で、より大きなスパンを架けることが可能なのは、正にトラス構造の力の流れを理解して設計されたからと考える事ができる。同じトラス構造でも、4番・5番線よりも2番・3番線の屋根の方がより高次な構造になっていると言えるだろう。二つの屋根断面を比較してみると、見よう見まねでトラスを架けた導入期の4番・5番線と、構造の仕組みを最大限に生かした成熟期の2番・3番線、そのような印象を受けた。
構造以外にも、二つのホームには大きな違いがある。梁間方向の間隔が2番・3番線が4.0mで、4番・5番線が2.73m、線路に沿った方向では、5.0と3.64mとなっている。前者はメートルで割り切れる寸法になっているのに対し、後者は半端な数値だが、これを尺に換算すると、2.73mは9尺、3.64mは12尺と今度は割り切れる数値なのである。つまり2番・3番線のホームはメートル法で、4番・5番線は尺貫法で建てられていたのである。
メートル法は皆さんもご存知の通り、現在では世界共通の計量単位だが、これは一九世紀の終わりにフランスで世界共通の単位として決められたもので、「地球の赤道から極までの長さの1000万分の1」を一単位としている。日本でも近代国家の仲間入りを目指し、明治28年(1891年)には度量衡法が制定され、メートル法の導入を行った。
その後大正10年(1921年)メートル法を国内唯一の計量単位とする法律改正が行われたが、日本には尺寸による長さの単位が既にあったため、なかなか普及しなかった。さらに、戦争へと国政が傾いて行く中で、国粋主義的な風潮の増大に伴い尺貫法の使用が継続され、メートル法が実際に使われるようになるには戦後まで待たなければならなかった。昭和初期に建てられた建物の図面を見ると、鉄筋コンクリートのビルでさえも尺寸で計画されており、メートル法が採用されていなかったことを改めて確認できる。
二つのプラットホームの架構について話を進めてきたが、そろそろまとめに入りたい。2番・3番線のホームを西武鉄道の前進である武蔵野鉄道開業時の建物だとすると、メートル法で建てられた数少ない明治時代の遺構ということになるが、明治時代に所沢駅でメートル法を採用しなければならない必然は考えにくい。また複雑なトラス構造も、建築資材が容易に手に入らない戦中、戦後に発展したという文献が多く、構造と計量単位の二つの側面から考える限りは、明治時代の建物とするのは難しいようである。4番・5番線に関しては、大正時代の架構のまま現在に至る可能性が十分に考えられる。2番・3番線の架構の方が4番・5番線よりも新しいと判断するのが妥当だろう。両者の年代を特定する事は難しいが、特徴を比較検討しながら、あれこれ推測することは楽しい作業であった。
【参考文献】
間・尺・メートルとオクタメートルに関する考察 ハイリッヒ・エンゲル